シンギュラリティを空想する

Valtech (バルテック) Advent Calendar 2016 向けの記事になります。

 私の理解が及んでいないため、子どもの空想レベルのお話です。正確でなかったり、特定の説に偏っている部分がたくさんあると思います。

 ”シンギュラリティ”とは、日本語で”特異点”という意味で、ここでは、コンピュータの知性が人間の知性を越える瞬間の時間軸上の”点”を指しています。人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイルさんは、その瞬間が訪れるのを”2045年”と予測しています。

シンギュラリティが訪れると?

 コンピュータの知性が人間の知性を超えた瞬間から、コンピュータは人間がそうするよりも早く、コンピュータを強化していきます。人間よりも頭が良いのだから当然です。

 そうするともっと頭が良くなるので、もっと自らを強力にできます。そうするともっと・・そうするともっと・・という連鎖が爆発的に発生し、人間の知性(未強化の現在レベルの知性)は遥か後方に置き去りにされてしまいます。

そうなったら人間は虐げられるの?

 シンギュラリティ後の世界では、SFで描かれるように、人間は絶滅の危機に瀕したり、コンピュータに支配されたりするんじゃないかと心配になります。これまで人間がそうしてきたからでしょうか。

コンピュータが新しい生命として君臨する場合

 コンピュータにとって人間が必要ないとしても、現在人間が他の生物にしているように、保護され、管理され、存続していくのではないかと思います。

 支配という意味では、もう既に支配されていると言っても間違いではないのかも知れません。私たちは、コンピュータから入力したり、コンピュータに出力したり、ということを、日常的に繰り返し繰り返し行なっています。そしてそれによって生計を立てたり、心地良く思ったりしています。その向こう側には人間がいてコントロールしているように見えていますが、実際はどうなのでしょうか?その向こうのコンピュータ、その向こうの人間、幹に向かって辿っていくと、根幹は既にコンピュータだったりするかも知れません。

 支配がこれからであるとしても、このように、気付かないうちに進行していくのではないかと思います。

コンピュータと人間が融合する場合

 個人的にはこちらの方が可能性が高いと思います。シンギュラリティが訪れる前に、人間とコンピュータの融合は始まっていて、その状態でシンギュラリティを迎えるのではないかと思うからです。

 知性を持ってから現在まで、人類は自己の機能を拡張し続けることで発展してきました。大昔は石というデバイスを手というコネクタで身体に接続し、昨今ではパーソナルコンピュータというデバイスに手(出力)と目(入力)をコネクタとして接続し、能力を拡張してきました。今後は接続の仕方がもっと直接的になり、コンピュータと人間の境目が曖昧になっていくのではないかと思います。

 人間にコンピュータを組み込んでいくのか、コンピュータに人間をアップロードするのか・・。どちらも楽しそうですが、私としてはまずは自分の体に機械を組み込むサイボーグ化から始めてみたいです。

知能・意識のアップロード

 人間の知能、意識をアップロードできるようになったら、そしてデータを質量を持たない光子などの素粒子で表せるようになったら、人間と光速との距離が一気に縮まるように思います。ここは特に素人考えなのですが、人間が人間として光速に近付くまでには、質量の壁*が大きく立ちはだかっているように感じていました。それが取っ払われるわけです。

*質量のある物質を速く動かそうとすればするほど必要なエネルギーが指数関数的に増えていき、どんなに軽い物質であっても(質量が0でない限り)、光速に達するためには無限のエネルギーが必要となる。

なぜ光速に達したいのか

  • そもそも、回路間を移動する信号の速さがコンピュータの計算速度に直結するようです。つまり、よりコンピュータが進化するためには、どこまでも信号の移動速度を上げていく必要があります。
  • 宇宙を制覇するために、移動速度が必要です。
  • 時空を制覇するため、時間軸の移動のために光速(超高速)が必要です。

 素粒子の質量については難しくて、質量0の素粒子は存在しないのかも知れませんが、0じゃないとしてもものすごく軽いので、光速に近付くためのハードルは下がるだろうという期待、それと、肉体のように、光速度や莫大な重力に明らかに耐えきれない構造ではなくなりそう、という期待があります。

 そもそも、データを粒子で表せるようになったら、対になっている粒子はどんなに離れていてもお互いが同時に相関する性質を利用して、意識を一瞬にして宇宙の果てから果てにテレポーテーションさせることができるかもしれません。

その先に何があるのか

 生命の進化については基本的なところがずっと疑問でした。

 ”なぜ”

 生命誕生以来、何十億年と行なわれてきた進化という競争。ようやくここまでの知性を持つようになりましたが、この先に何があるのでしょうか。何もないのであれば、もう進化しようなんて考えずに、みんな仲良く穏やかに、宇宙の消滅まで横並びで過ごせばいいのではないでしょうか。

 人間社会のみに絞っても同じです。持っているから幸せというわけではない、持っていないから不幸というわけでもない、みんながわかっているのに、競争をやめられない。むしろ、競争をすることが一部の不幸を生んでいることを知っているのに。それは本能的な進化への渇望だと思います。

 意味を見出だせない、意味なんかないのかも知れない、と私はすっかり虚無主義になりましたが、ひとつの希望として妄想していることがありました。

 もしかしたら、この宇宙には神様(創造主)がいて、自分が作った世界の知性が進化し、いつかは世界を飛び出し、自分と同等の存在となって、話相手になってくれるのを待っているんじゃないかと。

 シンギュラリティについて考えていると、その時が近付いているように思えて、うれしくなります。

 

 その先は?と言われると・・。私の知性ではここまでで大満足です。

One thought on “シンギュラリティを空想する

  1. 私も機械学習や、ディープラーニングを学習している際に、似たような妄
    想をしますが、
    現代のコンピュータにて行っているのは「中国語の部屋」に例えられるよ
    うに「人間」が用意した回答をマニュアル通りに返答しているだけであ
    り、
    本質的な人口知能ではなく今後、どれだけ優秀なアルゴリズムやモデルが
    出現したとしてもこの壁を打ち破ることは不可能と考えます。
    ただ、現在のコンピュータとは異なるアプローチで「真の人口知能」が現
    れたとき本当のシンギュラリティが訪れるのではないかと思っておりま
    す。

    コンピュータが好きな私個人としてはシンギュラリティが訪れて人間をよ
    りよい、怠惰な未来へ導いてくれる日が来るのを心待ちにしてます。

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